大切な人をなくした経験ありますか。
父や母、兄や弟、姉や妹、身近な人が死んで、悲しみに打ちひしがれたりするかもしれません。
カレシやカノジョと別れてしまって、どうしたらいいかわからないこともあるかと思います。
無くしてはじめて自分にとって大切な人だったと気づくこともあるだろうと思います。
今回は、そんな時に役に立つ対象喪失と受容プロセスのことを紹介したいと思います。
悲しい時に読むブログ
悲しい時に読むブログはありません。
ネットの中には色々な情報が溢れています。
元気がある時は、それでいいでしょう。
本当に悲しい時は、もっと深く悲しみの底に沈みたいものです。
涙が、とめどなく、こぼれ落ちます。
生きることもままならない時には、ただ、悲しくて泣いている背中をそっとさすってくれるだけでいいと感じます。
「だいじょうぶだよ」
眠るまで囁いてくれる、そんな悲しい時に読むブログがあればいいと思いました。
対象喪失とは
生きていれば誰もが大切な人との別離を体験すると思います。
親であったり、子であったり、兄弟姉妹、祖父母、親戚、友人、時には家族のように可愛がっていたペットが亡くなった時、愛していた恋人と別れた時、人は深い哀しみを味わうだろうと思います。
生きていれば避けて通れないことですから、どんな人も生きていく限り克服しなければならない問題だろうと思います。
(精神分析学では)対象喪失とは、愛情や依存の対象を、その死によって、あるいは生き別れによって失う体験、と定義されています。
もしあなた自身や、あなたの周りの人が、今まさに大切な人をなくしたのなら、このことを知っておいて欲しいと思います。
それこそが「対象喪失の受容プロセス」です。
受容プロセス
アメリカの精神科医にエリザベス・キューブラー・ロスという方がいました。
代表的な著書に「死ぬ瞬間」というものがあります。
この本の中に「死の受容のプロセス」が書かれてあります。
ここでいう死とは自分の死のことですが、自分の死とは一番大きな対象喪失ですから、その他の対象喪失も同じようなプロセスを辿るということです。
5つの段階
受容プロセスには大きくわけて5つの段階があるそうです。
基本的に、上から順番に、以下の精神状態を経ていくとのことです。
否認・隔離
自分(大切な人)が死ぬ(いなくなった)ことは嘘ではないかと疑う段階です。
何かの間違いではないだろうかと思ったりします。
別離を受け入れらず戸惑っているような状態です。
怒り
なぜ自分(大切な人)が死ななければならないのか(別れないといけないのか)という怒りを周囲に向ける段階です。
自分がこんな目にあうなんておかしいじゃないかと苛立ちます。
取引
なんとか自分や大切な人が死なずに(別れなくて)すむように取引をしようと試みる段階です。
何かにすがろうという心理状態です。
亡くなる(いなくなる)前には「助けてください」、亡くなった(いなくなった)後では「返してください」と願う状態です。
抑うつ
なにもできなくなる段階です。
受容
最終的に自分(大切な人)が亡くなる(いなくなった)ことを受け入れる段階です。
恋人との別れ
大切な人が死んだあと、なくしたものの代わりを異性に求める人もいます。
同じように無償の愛で自分を愛してくれる人を探してしまう場合があります。
よく愛が重たいとか言われる人は、このケースにあてはまるかもしれません。
しかし、決してうまくはいかないだろうと思います。
誰も亡くなった(いなくなった)人の代わりはできません。
最後に
対象喪失と受容プロセスの話はいかがだったでしょうか。
もしかしたら、それほど哀しみを感じない大人な方もいるのかもしれません。
ただ多くの人は、よくわからない哀しみと喪失感に、とめどなく涙が流れ、自分までもが死んでしまいそうになることだろうと思います。
哀しみが癒えるのが早い人もいるでしょうし、遅い人もいます。
ただ一つの救いは、若いときに大きな対象喪失を味わえば、これから先それ以上の喪失はないだろうと思います。
あなた自身がそうだったように、あなたの周りでも、何か大きなものを喪失して(見た目にはわからないですが)心のなかで受容のプロセスを歩んでいる方がいるかと思います。
このことばかりは他人にどうすることもできませんが、受容のプロセスを知っておくだけで、少なくとも邪魔だけはしなくて済むかもしれません。
ちなみに本文中にたびたび「克服」と書いていますが、克服というと、戦ってしまうかもしれませんので、気をつけてください。※戦っては長引きます。
受容とは、悲しい現実を受け入れることです。
焦らずに、ゆっくりと歩んでください。